猫伝染性腹膜炎(FIP)とは

FIPは長らく「診断がついたらほぼ助からない病気」とされてきましたが、抗ウイルス薬の登場で状況は大きく変わりました。原因・症状・診断・治療の全体像を、専門用語をかみくだいて整理します。

本記事は飼い主の方に向けた入門的な解説です。査読済みの獣医学文献と欧州ABCDガイドラインに基づいて記述し、販売元が公表している成功率などの数値は扱いません。診断・治療の個別判断は担当獣医師の領域であり、本記事はその判断を置き換えるものではありません。
この記事の要点
FIPの出発点は、多くの猫が持っている猫コロナウイルス(FCoV)です。ウイルスそのものはほとんど害がありません。
そのウイルスが猫の体内で性質を変え、免疫細胞の中で増えるようになると、全身の血管に炎症が起こります。これがFIPです。
治療の中心は抗ウイルス薬GS-441524です。早く始めるほど結果がよく、決められた期間をやり切ることが重要です。

FIPはどんな病気か

FIPの原因ウイルスは猫コロナウイルス(FCoV)です。名前にコロナとありますが、人の新型コロナウイルスとは別のウイルスで、人にはうつりません。

FCoVは、感染した猫の便に含まれるウイルスが、毛づくろいやトイレの砂を介して口から入ることで広がります。猫が何頭も一緒に暮らす環境、つまり多頭飼育の家庭、保護施設、ブリーダー、ペットショップでは、ほとんどの猫が一度は感染していると考えられています。

ただし、感染しただけでは病気になりません。多くの猫は無症状か、軽い下痢がしばらく続く程度で自然におさまります。問題になるのは、そのうちのごく一部の猫でウイルスが性質を変えてしまったときです。感染した猫のうちFIPを発症するのは、報告によって幅がありますが数%から10%程度とされます。

猫コロナウイルスに感染した猫100頭のうち、FIPを発症するのはごく一部であることを示す図FCoVに感染した猫 100頭のうち発症しない無症状か、軽い下痢が続く程度FIPを発症ウイルスが体内で性質を変えた猫

図1:FCoVは多くの猫が持つありふれたウイルスで、感染しても大半は発症しません。発症する割合は報告によって幅があり、2歳未満の若い猫や多頭飼育の環境では高くなります。

猫の体の中で何が起きているのか

腸のなかで増えていたFCoVは、増殖をくり返すうちにコピーミス、つまり変異を起こします。その変異によって、ウイルスが腸の細胞ではなくマクロファージという免疫細胞の中で増える能力を手に入れることがあります。

マクロファージは体じゅうをパトロールする細胞です。その中でウイルスが増えると、ウイルスは免疫細胞に乗って全身へ運ばれます。運ばれた先で免疫が過剰に反応し、血管のまわりで激しい炎症が起こります。この状態がFIPです。

血管に炎症が起きると、血管の壁から水分やタンパク質がしみ出します。しみ出した水分がお腹や胸にたまったものが腹水・胸水です。一方で、炎症がしこりになって臓器に残るタイプもあります。同じ病気なのに見え方がまったく違うのは、この違いによるものです。

FCoVが腸で増え、変異し、マクロファージ内で増殖して全身に広がり血管炎を起こすまでの流れ1腸のなかでFCoVが増えるここまでは、ほとんどの猫で起きているふつうのこと2増えるときにコピーミス(変異)が起きるごく一部の猫でのみ、次の段階へ進みます3免疫細胞(マクロファージ)の中で増えるウイルスが「守る側の細胞」を乗っ取ります4血液に乗って全身へ運ばれるお腹・胸・目・脳など、どこにでも届きます5血管のまわりで激しい炎症が起きる=FIP・血管から水分がしみ出す → お腹や胸に水がたまる・炎症が塊になる → 臓器にしこりができる

図2:FIPは外から新しい病原体をもらって起きるのではなく、すでに体の中にいたウイルスが変化して起きる病気です。

原則:うつるのはFCoVであって、FIPそのものではありません
FIPを発症した猫から同居猫へ病気が直接広がるわけではありません。猫の間を行き来しているのは、あくまで元のFCoVです。
ただし例外の報告があります。2023年にキプロスで大規模な流行を起こしたFCoV-23は、猫コロナウイルスとイヌのコロナウイルスの遺伝子が組み換わったウイルスで、猫から猫へ直接広がり、高い割合でFIPを起こしました(Attipa ら 2023)。輸入された猫を介して英国でも確認されています(Warr ら 2023)。まれな例ですが、「絶対にうつらない」と言い切れるわけではありません。

4つのあらわれ方

FIPは、どこに炎症が強く出るかによって呼び名が変わります。きれいに分かれるものではなく、いくつかが混ざることもよくあります。

ウェット型・ドライ型・眼型・神経型という4つのFIPのタイプを示す図ウェット型(滲出型)お腹や胸に水がたまるお腹がふくらむ/呼吸が速い進行が速いことが多いドライ型(非滲出型)水はたまらない臓器に小さなしこりができる症状がぼんやりして気づきにくい眼型目に症状が出る目が濁る/左右の瞳の大きさが違う目が赤い、光をまぶしがる飼い主が最初に気づきやすい変化神経型脳や脊髄に症状が出るふらつく/後ろ足が立たないけいれん、性格が変わる治療がもっとも難しいタイプ

図3:4つのタイプ。ウェット型とドライ型は途中で移り変わることがあり、目や神経の症状はどちらのタイプからでも出ることがあります。

早く気づくためのサイン

FIPの症状は、ひとつひとつを見ると「よくある体調不良」と区別がつきません。重要なのは、複数のサインが重なり、しかも数日から数週間にわたって続くことです。

  • 熱が続く(抗菌薬を使っても下がらない、いったん下がってもまた上がる)
  • 元気がない、食欲が落ちた状態が続く
  • 体重が減る。子猫や若い猫で体重が増えない
  • お腹だけがふくらむのに、背中や足は痩せてくる
  • 呼吸が速い、浅い、動きたがらない(胸に水がたまっているサイン)
  • 白目や歯ぐきが黄色い(黄疸)
  • 目が濁る、色が変わる、左右の瞳孔の大きさが違う
  • ふらつく、まっすぐ歩けない、けいれんする

受診が遅れると、次のように段階的に状況が悪くなります。

  • 発熱と食欲低下が続く
    体重と体力が落ち、治療に耐える余力そのものが減っていく
  • お腹や胸に水がたまる
    呼吸が苦しくなり、横になって眠ることもできなくなる
  • 炎症が目や脳・脊髄へ広がる
    ぶどう膜炎、ふらつき、けいれん。薬が届きにくい場所に病変が移る
  • 全身状態が落ちてから治療を始める
    反応が鈍く、寛解までの道のりが長くなり、再発の懸念も残る
とくに注意したい組み合わせ
「抗菌薬が効かない発熱」と「若い猫で体重が増えない」。この2つが重なるときは、FIPを念頭に置いた検査を早めに相談してください。FIPは進行が速く、数日の遅れが結果を左右します。

診断の考え方

診断でいちばん大事なことは、単独で「陽性ならFIP」と言える検査が存在しないという点です。獣医師は、症状・血液検査・画像・たまった水の性質といった複数の情報を積み上げて判断します。

症状から疑い、検査で裏づけ、確定診断に至るFIP診断の3段階を示す図1. 疑う続く発熱・食欲低下・体重減少・お腹のふくらみ年齢や飼育環境(多頭飼育・保護直後)も手がかり2. 裏づけを取る血液検査(グロブリン上昇・A/G比低下・SAA上昇)画像検査、たまった水の性状と細胞の検査3. 確定する組織や細胞を採って、ウイルスを直接染める検査(病理組織+FCoV抗原の免疫染色)

図4:診断は3段階で積み上げます。貯留液がある場合は、その細胞診とFCoV抗原・RNA検査が最も有用な一歩になります(ABCD 2023)。実際の診療では、確定を待たずに2の段階で治療を始める判断もよく行われます。

よく行われる検査と、その意味

検査 何がわかるか 限界
血液生化学 炎症が続くとグロブリンが増え、アルブミンが減る。その比率(A/G比)の低下がFIPで典型的 他の慢性炎症でも同じ動きをする。これだけでは確定できない
SAA・AGP 体のどこかで強い炎症が起きているかを、早く数値で把握できる 炎症の強さを見る検査であり、FIPかどうかを見る検査ではない
血球検査 貧血、リンパ球の減少、黄疸(ビリルビン上昇)の有無 重症度の目安にはなるが、原因の特定はできない
画像検査 少量の腹水・胸水、リンパ節の腫れ、臓器のしこりを探す 所見が出ない時期もある。見えないことは否定にならない
貯留液検査 色・粘り・タンパク量・細胞の種類。FIPの水は黄色くねばりがありタンパクが多い 特徴が一致しても他疾患の可能性は残る。ただし寄与は大きい
RT-PCR 貯留液や組織にウイルス遺伝子があるかを調べる 便や血液の陽性は「FCoVがいる」だけで、FIPの証明にならない
免疫染色 細胞の中のウイルス抗原を直接染め出す。確定診断の方法 検体採取が必要で、実施できる施設が限られる
広まりやすい2つの誤解
ひとつめ。コロナ抗体価が高いことはFIPの証明になりません。健康な猫でも高値を示します。抗体価だけで診断することはできません。
ふたつめ。S遺伝子(スパイク蛋白)の変異PCRが陽性でも、それだけでFIP確定にはなりません。日本語の情報では確定診断のように紹介されることがありますが、補助的な検査です。確定は組織・細胞の免疫染色によります。

治療

現在の治療の中心は抗ウイルス薬GS-441524です。ウイルスが自分の遺伝子をコピーするときに割り込み、コピーを途中で止めてしまう働きをします(人の薬レムデシビルは、体内でこの物質に変わります)。

2019年に発表された最初の臨床試験では、自然発症FIPの猫31頭に1日1回の皮下注射を12週間行う方法が有効かつ安全と報告されました(Pedersen ら 2019)。その後、経口薬の前向き試験や長期追跡(Zwicklbauer ら 2023)が積み重なり、かつて致死的とされた病気は、多くの例で寛解に到達できる病気へと変わりました。

治療開始から84日間の投薬と、その後の経過観察までの流れを示す図投薬期間(標準 84日)経過観察(約12週)0日2週84日168日治療開始熱が下がり、食欲が戻り始める体重・血液検査で確認A/G比とSAAが正常化していくかを追う投薬終了の判断数値が戻っても、自己判断で早くやめないこと再発の多くは投薬終了から数週間以内に起こるため、終了後も観察期間が必要です

図5:治療の流れ。滲出型では42日間の投薬でも84日間と同等だったとする無作為化比較試験があり(Zuzzi-Krebitz ら 2024)、期間は症例ごとに獣医師が判断します。

治療で押さえておきたいこと

  • 開始が早いほど結果がよい。体力が落ちきる前に始められるかどうかが大きく影響します。
  • 注射と飲み薬があります。症状が強い時期は吸収の安定した注射から始め、落ち着いてから飲み薬へ切り替える方法がよくとられます。
  • 神経型・眼型は多めの量が必要です。脳や目には薬が届きにくい関門があるためで、治療が難しく再発も起こりやすいタイプです。
  • 効果は体と数値の両方で見ます。発熱が下がる、食欲と体重が戻る、A/G比とSAAが正常化する、という流れをたどります。
  • 途中でやめない。見た目が元気になるのは治療の序盤です。そこで中断すると再発のリスクが上がります。
国内での位置づけ
GS-441524を含む製剤は、日本では動物用医薬品として承認されていません。使用は獣医師の判断と管理のもとで行う必要があります。投与量・期間・中止の判断を飼い主が独自に決めることは避けてください。

多頭飼いの家庭で気をつけること

FIPそのものを直接予防する方法は確立していません。できるのは、もとになるFCoVにさらされる量を減らし、猫のストレスを減らすことです。

  • トイレの数は「猫の頭数+1」を目安にする。数が足りないと便を介したウイルスのやりとりが増えます
  • 排泄物はこまめに片づける。猫砂の飛び散りを抑える形のトイレや、置き場所の工夫も有効です
  • トイレと食器・水飲み場を離す
  • 頭数を増やしすぎない。過密はウイルス量とストレスの両方を上げます
  • 新しい猫を迎えるときは、期間を区切って別室で慣らす
  • FCoVのワクチンは、一般に推奨されていません

よくある質問

人間にうつりますか

うつりません。猫コロナウイルスは猫の仲間に感染するウイルスで、人の新型コロナウイルスとは別の種類です。

同居猫にうつりますか

FIPそのものは通常うつりません。猫の間で広がるのは元のFCoVです。ただしFCoV-23のように、猫から猫へ直接広がって高い割合でFIPを起こす株の報告もあるため、同居猫の体調は注意して見てください。

「FIPの可能性が高い」と言われました。確定を待つべきですか

確定診断の検査は体への負担が大きく、時間もかかります。FIPは進行が速いため、症状と血液検査の裏づけが揃っている場合は、確定を待たずに治療を始める判断も一般的です。どの段階で始めるかは担当の獣医師と相談してください。

一度よくなったら、もう再発しませんか

再発することがあります。多くは投薬終了から数週間以内で、とくに神経型で起こりやすいことが知られています。治療が終わっても、決められた期間は体重と血液検査での経過観察を続けてください。

お腹の水を抜いてもらえば楽になりますか

呼吸が苦しいほどたまっている場合、抜くことで一時的に楽になります。ただし水を抜くのは症状への対処であり、原因のウイルスは減りません。抗ウイルス治療と併せて判断すべきものです。

参考文献

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本記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個々の猫の診断・治療方針を示すものではありません。実際の診断と治療は獣医師の診察と指導のもとで行ってください。記載内容は公表されている獣医学文献に基づいていますが、研究の進展により見解が変わる可能性があります。